【声明】全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現を――「命の選別」は反緊縮と相容れない
2020年7月31日
薔薇マークキャンペーン代表
松尾 匡(立命館大学経済学部教授)
薔薇マークキャンペーン呼びかけ人
西郷 南海子(薔薇マークキャンペーン事務局長)
朴 勝俊 (関西学院大学総合政策学部教授)
池田 香代子(翻訳家・作家)
稲葉 振一郎(明治学院大学社会学部教授)
色平 哲郎(佐久総合病院医師・社会運動家)
岩下 有司(中京大学名誉教授・経済学)
北田 暁大(東京大学大学院情報学環教授)
岡本 英男(東京経済大学学長)
小田中 直樹(東北大学大学院経済学研究科教授)
梶谷 懐(神戸大学大学院経済学研究科教授)
桂木 健次(富山大学名誉教授・経済学)
岸 政彦(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
西郷 甲矢人(長浜バイオ大学教授・数学)
斎藤 美奈子(文芸評論家)
橋本 貴彦(立命館大学経済学部教授)
森永 卓郎(獨協大学経済学部教授)
山本 圭(立命館大学法学部准教授)
菊池 恵介(同志社大学GS研究科教授)
内田 樹(神戸女学院大学名誉教授・京都精華大学客員教授)
ブレイディ みかこ(保育士・ライター)
大坂 洋(富山大学経済学部経済学科准教授)
その他この声明への賛同者
立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
中島 岳志(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・政治学)
松尾 貴史(俳優・タレント)
ラサール石井(俳優・演出家)
雨宮 処凛(作家・活動家)
(2020/08/10現在・順不同)
反緊縮は「命の選別」を許さない
7月23日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した京都市の女性に薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が逮捕されました。この事件を受けて、一部の政治家が安楽死や尊厳死についての議論を呼びかけましたが、これは決して許されるものではありません。
逮捕された医師の一人は「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた」と報じられています(「京都新聞」7月23日)。ここには、2016年に起きた「津久井やまゆり園」の大量殺傷事件において、植松聖死刑囚が、自らの行為を正当化する根拠として、社会保障費の増大による財政危機を持ち出していたのと、同根の考え方があることは否定できません。
財政危機論が煽られ緊縮政策が進められる現在の日本において、少なくない人々が、自力で生活できない人のために社会保障費を増やし続けて大丈夫だろうか、という漠然とした不安を抱かされています。こうした不安に付け込む形で、安楽死や尊厳死についての議論が進められることは、非常に危険といわざるをえません。死についての自己決定権の問題であるかのような外見の下に、生きたいと願う人に死を選ぶ強い圧力を感じさせてしまう社会がつくられてしまいかねないからです。
さらに、いわゆる延命治療を望まないとしても、緊縮政策は「生きてきてよかった」と思える丁寧なケアを実現するために、決定的な制約となることを指摘しておかなければなりません。本当に当人にとって「生きていてよかった」と思える丁寧なケアを実現するためには、緊縮政策下での延命治療よりも、多くの人手と医療資源が必要でしょう。医療をめぐって、当事者の自由な自己決定は、緊縮政策の下では実現できないのです。
このような「命の選別」を絶対に許さず、全ての人が「生きていてよかった」と感じられる社会を目指すのが、反緊縮の思想であったはずです。
ところが、反緊縮を掲げる勢力の中から、「命の選別」を正当化する主張がなされるという重大な出来事が起きてしまいました。れいわ新選組の構成員であった大西つねき氏が、労働供給の制約を根拠に、「命、選別しないとダメだと思いますよ」「その選択が政治なんですよ」と発言し、れいわ新選組を除籍されたのです。この大西つねき氏の発言は決して許されるものではなく、反緊縮の根本思想と絶対に相容れないものです。
たとえ、経済的な理由から肉親の延命治療を断らざるを得なくなったり、医療資源の不足で医療労働者がトリアージ(災害などで多数の患者が同時に出た時、治療の優先度を決定して選別を行うこと)を余儀なくされたりする状況があったとしても、そこで何よりも問題にすべきなのは、現場の関係者にそのような苦渋の選択を強いる貧弱な医療体制であり、こうした貧弱な医療体制をもたらしてしまった緊縮政策です。反緊縮運動がやるべきことは、現状の貧弱な体制を前提にして、外部の者が聞きかじった情報をもとに、現場の関係者が思い悩まなくて済む方向へ公的制度を向けるよう議論を急かすことではなく、現場の関係者の苦渋の思いをみんなで分かち合いながら、緊縮政策への怒りに向けていくことであるはずです。
新自由主義の人間観に対決する「人は生きているだけで価値がある」という思想
緊縮政策をもたらしてきた新自由主義の思想には、人間を「使える」「使えない」で選別する能力主義があります。その根底には、「理性」を身体の上位に置き、身体は「理性」の入れ物に過ぎないという人間観があります。ここから、お金儲けのための理性的な計算や、公共的な事柄についての理性的な考察を個人に課し、その優劣によって個々人をランクづけして、不遇な結果を自己責任として突き放すのです。資本や国家への貢献度によって個々人を優劣づける思想の蔓延こそ、この社会を生きづらいものにする根源になっています。
こうした新自由主義の人間観と最も鋭く対決するのが、「人は生きているだけで価値がある」という考え方です。これは、理性に代えて「生きているだけ」で存在する生身の身体を政治的舞台の主人公に据え、空腹の胃袋や筋肉痛の手足の感覚・感情をも根拠にして、エリートの「理性」が押し付けてくる強者の都合に反逆するものです。私たちは、この「人は生きているだけで価値がある」という言葉こそ、反緊縮思想の核心であり、現在の生きづらい社会に対する最も確かな対決軸となるものだと考えます。99%の側の全ての庶民に——明確には言語化されていないかもしれないけれども——共通する、まっとうな怒りや願望に依拠し、それを汲み取ってスローガン化してこそ、様々な場面で立ち上がった広範な人々に支えられる形で、緊縮勢力に勝つことのできる政治的な連携をつくっていけるはずです。
理性的な自分が、自身の発言をうけた大衆の判断による負託にもとづき生身の命を救うか否か判断を下していくという大西つねき氏の発言(※1)は、こうした考え方と対極にあるものです。これは、生身の個々人のコントロールのきかない外から、エリートの理性の選択が生身の個々人の誰彼を選別して損壊してくるということであり、絶対に容認するわけにはいかないものです。
全ての人が尊厳のある人生を送れる社会を実現しよう
「人は生きているだけで価値がある」という思想は、「生きているだけ」で存在する生身の個人を主人公に据え、全ての「生きている」人を尊厳ある権利主体として扱うことを要請します。身体反応レベルの選択は、いわゆる理性的選択と優劣なく、最大限尊重しなければならないものです。ここに「命の選別」が入り込む余地は全くありません。この立場は、大西つねき氏が「命の選別」の根拠として持ち出してきた(※2)労働供給の制約の問題を考慮しても、変わるものではありません。
たしかに、将来的に、高齢化の進行により医療・介護などに人手がたくさん必要になり、それらの部門で必要になる物財の生産のためにも人手が必要になって、労働不足が発生することを心配する人も少なくないでしょう。しかし、この場合でも、社会の合意によって選別されるべきは「命」では絶対にありません。全ての生身の個人の尊厳を守ることを絶対に譲れない大前提として、労働の配分をどのように選択していくかが問われるべきなのです。
例えば、機械や工場の生産が過剰な場合はそれを抑えるために法人税を上げたり、カジノなど一部の富裕層の利益にしかならない事業に財政支出することを止めたりすれば、これらへの労働の配分を減らして、介護分野にまわすことが可能になります。また、今後、介護分野を含む様々な産業においてロボットやAIの開発・活用が進んでいくことも考慮すれば、既存の予測の延長線上で考えるよりもはるかに、労働配分の選択の余地が広がっていくはずです。
介護(ケア)は、対象者の命や生活をサポートする重要な仕事です。実際、介護の仕事にやりがいを感じ、個人の尊厳を守るために奮闘しているたくさんの人たちがいます。しかし,同時に、介護の現場では、その責任の重さとつり合いの取れない厳しい労働条件を強いられています。ケア労働が正当な社会的評価を受けるためにも、政府の支出を傾けていくべきなのです。とりわけ、現在、介護分野における人手不足の根本原因となっている低賃金を解消することは急務です。高齢者の介護のために若者の時間を費やさせるのが気の毒だという理由で、介護労働の節約を考える必要は全くありません。
いうまでもなく、ケアを必要とするのは高齢者だけではありません。子ども、病気になった人、障がいを持つ人など、様々な人たちがケアを必要としています。その全ての現場において、生身の個人の尊厳が守られる体制をつくっていく必要があります。
いま緊縮政策がもたらしているのは、「生きているだけ」で存在している生身の個人が損壊されるか否かが、所得の大小や雇用にありつけているか否かで選別されてしまうシステムです。こうした選別が、分別ぶった財政規律論のお説教で押し付けられてくることに反対するのが反緊縮の思想です。「財政」も「通貨」も、人が生きていくための決まりごとにすぎません。それを自己目的化して、生身の個人を犠牲にするのは本末転倒です。私たちは、全ての人が尊厳のある人生を送れる社会の実現に向けて、反緊縮プログレッシブ運動の形成を目指していきます。
※1「私が「政治家が命を選別しなければならない」と思わず言ってしまったのは、このように命の選別になりかねない考えも恐れず発信し、場合によってはそれに賛同する人々の負託を受けて、代理人とし実行する仕事であるということです」(https://www.tsune0024.jp/blog/7-17<7/17 大西つねき会見全文>)
※2「お金がいくらでも作れることが理解されれば、上限はお金ではなく、それで動かせる人の時間と労力という「実体リソース」の有限性になります。少子高齢化で人口バランスがとてもいびつになる中、果たして十分な人材を確保できるのかどうか」(同上)
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