バブルの後、この30年のあいだ大阪という街を見てきて思うのは、すべての根源に「緊縮」がある、ということだ。カネがないから我慢しろ、という命令に背くのは、とても難しい。だからみんな、カネがないということを、まるで「人を殴る棒」のように使っている。そしてそれは、いまではまるで、ひとつの「文化」のようになってしまった。それは私たちの考え方や感じ方、態度や行動を縛る、「緊縮という文化」になったのである。
この30年の大阪の、経済的没落も、政治的暴走も、伝統文化の破壊も、もとをたどればこの、緊縮文化だ。しかし、私たちは騙されているだけかもしれない。経済のなかを回っているカネをもっともっと増やすことができるかもしれないのだ。
私たちは、そこに賭けるしかない。いまのまま何もしなければ、ほんとうに必要なカネさえなくなってしまうだろう。
もっとカネを! 私たちに必要なものは、カネだ!